筑波山路「ハイキング」 Hiking "Tsukuba Mounting Road"
ひとくちメモ
「つくば道」をハイキングしながら歴史や風景を楽しみながら親睦を図る企画に参加しました。
つくば道は歴史を語る路として昭和61年建設省により日本の道百選に選ばれたところです。
総勢約20名で山路に沿った風景を楽しんだり、神社を訪ねるハイキングです。
江戸城の鬼門(北東)にあたる筑波山を徳川家康は「鬼門の守り」として崇め、
中腹にあった中禅寺(現在の筑波山神社)を祈願所に定めました。
寛永3年(1626)三代将軍家光の時、堂社を一新する工事が始まり、北条から神郡を抜けて筑波に至る資材運搬道路が作られた。
これが後に「つくば道」と呼ばれ、参詣道となったものです。
尚、掲載する説明は当日配布された、つくば市発行の「歩いて発見!筑波山麓マップ~筑波・臼井~」から多くを引用しています。
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(1) 神郡市営駐車場 9:39
集合場所です。
筑波山周辺観光案内板があります。
ハイキングはここから出発してここに戻ります。
臼井側には文禄2年(1593)の日待碑が
神郡側には二十三夜石橋供養碑が立っています。
(2) 馬頭観世音の板碑 9:47
文政6年(1824)建立
馬頭観世音は馬の守護仏、家畜類を救う観音ともされています。
馬頭尊とも呼ばれ、江戸時代から農耕馬の霊を供養するための碑が建てられるようになったそうです。
(3) 鮏川邸 9:50
鮏川邸は観光協力の家です。山路を登る前にトイレ休憩を借用させて頂きました。
ここから続く家々の石垣にはサボテンの植込みがあり、かわいい花をつけているものもありました。
(4) 山路の風景 9:59
山路の廻りの風景です。
桐の大きな木があり、花を咲かせていました。
また、路の脇は白い野菊が多く可憐に咲いていました。
(5) 石鳥居・黒門跡 10:07
「六本松の一の鳥居」とも呼ばれます。
鳥居より上は石段が続いていたが、昭和40年代に道路に舗装されました。
近くには千手沢からの用水が流れ、松尾芭蕉の弟子であった服部風雪の句碑「雪は申さず先ず紫の筑波山」があります。
道路の両側に黒門跡の礎石が残っています。
ここから山路は勾配が増します。
神社下へ続く屋敷地や水路の石垣は見事な乱石積で、
御座替祭では、この鳥居のところに御神輿の御仮屋が建てられ、神幸祭がスタートします。
(6) 三叉路 10:15
四丁目と五丁目の境です。
坂下より右手が本通り、左手が西山通りです。
しばらく行くと小林一茶の「水仙や垣にゆひ込むつくば山」という歌碑があります。
(7) 二丁目の石段 10:26
舗装道になる前の石段が今も残っています
(8) 旧筑波山郵便局 10:27
昭和14年(1939)年に造られた洋風の建物。
入口や鬼瓦に「〒」印があります。
平成20年に改装が行われ、イベント時には公開されます。郵便局に奥は畳の和室になっています。
(9) ユースホステル「筑波山荘」 10:28
ユースホステル「筑波山荘」も石段脇に建てられています。
(10) 「つくば道」石柱、石碑 10:29
つくば道を登り切った所に石柱と案内碑が建っています。
(11) 御神橋 10:33
寛永10年(1633)の建立。
春(4月1日)と秋(11月1日)の御座替祭と年越祭(2月10・11日)のみ参拝客の通行が許されます。
春には御山の神が里に下り、農作を見守る。秋には再び御山に帰る。
このときに行われる神事が御座替祭(おざがわりさい)です。
男女2柱の神を山の2峰にある筑波山神社奥の院(山宮)と、麓にあった六所神社(里宮)とのの間で
御座を移したことから御座替祭と呼ばれるようになりました。
(12) 随神門 10:36
江戸時代は仁王門。二度の火事にあい、現在の門は文化8年(1811)の建立。
茨城県で最大の八脚楼門。
(13) 厳島神社 10:38
寛永10年11月(1633)三代将軍家光公寄進。
琵琶湖の竹生島より御分霊を祀っています。
神使は蛇の神様を祀っています。
(14) 光誉上人五輪塔 10:41
光誉上人は、1611(慶長16)年、大和・長谷寺梅心院より、筑波山に入山したという。
上人は、大阪冬の陣、大阪夏の陣で徳川家康の陣中祈祷やけが人の手当てを軟膏でしたとされる。
この軟膏が「陣中膏がまの油」で、それ以降、筑波山の名物となった。
(15) 筑波山神社拝殿 10:45
平安初期に法相宗の宗、徳一によって開かれた寺が、後に中禅寺となる。
中禅寺は戦国末期に焼失したが、家康に仕えた光誉上人が復興に力を注いだ。
その後、家光による再興を機に門前町が形成され参拝客で賑わった。
明治に入り、廃仏希釈によって寺院や仏像が壊され、残った建造物も仏教色が払拭された。
明治8年(1875)中尊寺大御堂の跡地に筑波山を御神体とする筑波神社の拝殿が完成し、昭和3年(1928)の改修を経て現在にいたる。
(16) 両社拝殿、春日神社本殿、日枝神社本殿 10:49
知足院中禅寺を開基した僧・徳一は、藤原仲麻呂=恵美押勝=の子と伝えられ、
その鎮守社として藤原氏に縁の深い両社を勧請し、鎮守社としたと伝えられている。
春日神社本殿、日枝神社本殿は規模構造共に同じ三間社流造、両社共有の拝殿は入母屋造となっている。
(17) 藤田小四郎銅像 11:13
筑波山は天狗党挙兵の地。
藤田小四郎は、水戸学の大家、藤田東湖の四男。
挙兵した天狗党の中心的役割を果たした。銅像は、神社入口の西側にある。
中禅寺本坊知足院跡。
(18) 大御堂 11:18
筑波山神社に隣接する真言宗豊山派の寺院
本尊は十一面千手観音。坂東三十三観音霊場第25番札所。
昭和36年(1960)に復興、中禅寺に祀られていた十一面千手観音を安置している
(19) 旧筑波第一小学校 11:27
現在、通信制高校の校舎として使われています。
江戸時代には時宗来迎寺があったそうです。
しばらく行くと茅葺の家屋があります。
(20) 供養碑 11:34
月水石神社へ向かう参道に二十三夜供養碑・十三夜供養碑・馬頭観世音がありました。
(21) 月水石神社 11:40
月水石神社を氏神としている御婦人が神社を御清掃されに来ておられ色々とお話がお聞きすることができ、
また、この神社に伝わる祈祷を聞かせて頂いた。
月2回嫁ぎ先から戻られ御清掃されているそうである。
神社には御神体として巨石を祀ってあり、巨石の真ん中から赤い水がでたという不妊や婦人病に御利益があり祭礼には卵を奉納するという習わしは、
平成21年の神社改築前は銅版の社屋根の雨水のためよりどこからともなく言われ出したもので元々はなかったものとお伺いしました。
(22) 飯名神社 12:10
飯名神社は「稲野の弁天様」と呼ばれ、本殿後ろにある4mの巨石が御神体とされる。
二月上旬(旧正月初巳)に祭礼が行われ、境内にだるま市が立ちます。
昨年の震災直後は鳥居が半壊されていたが、再築されて、側に平成24年の刻年のある神社名石柱が建立されていました。
(23) 薬師堂 12:20
イチョウの大樹の下にあり、室町時代の薬師像と十二神将が祀られている。
(24) 筑波山の風景 12:28
水田に筑波山の影が映り、逆さ筑波山を見ることが出来ました。
(25) 平沢官衙遺跡 12:57
駐車場から車で移動。
平沢官衙遺跡は奈良・平安時代の筑波郡役所跡です。
現在はここで年に何度か野外コンサートも開かれているそうです。
昼食はこの野原に大きなシートを広げ、皆でお弁当です。
その後、ビデオによる遺跡の説明を受けた後、遺跡を見学して今回のハイキングは終了しました。
天気にも恵まれ、楽しいひと時を過ごせました。