平沢官衛遺跡 hirasawakagaiseki
- 区分
- 歴史
- 住所
- 〒300-4213 茨城県つくば市平沢353
- 電話
- 029-867-5841
ひとくちメモ
筑波山の麓の北条地区の東側にある遺跡です。 遺跡の案内板に記された説明を記します。 平沢官衛遺跡は奈良・平安時代の常陸国筑波郡の役所跡です。昭和50年(1975)に調査を行い、 昭和55年(1980)に国の史跡に指定されました。平成5・6年度(1993-1994)に復元整備事業を計画し 本格的な発掘調査を行い、一般の遺跡ではみられない大型の高床式倉庫と考えられる建物が数多く並び、 それらを大きな溝が囲むという全容が確認されました。 これらの倉庫跡は、その頃の税[1]である稲や麻布などを納めた、郡役所の正倉跡と考えられ、つくば市では 平成9年度(1997)から6年間をかけて往時の姿を復元しました。
復元された建物は、なだらかな丘の上に3つ並んでいます。
一号建物(寄棟・目板打ち厚板流れ葺)
第Ⅲ記(8世紀後半)の建物の中でもっとも面積が狭く、校木を井桁状に組み上げる校倉は郡衛正倉の中では中規模以下の倉に
多いことが判明している。奈良の東大寺や唐招提寺の校倉を参考にして復元されている。
二号建物(寄棟・茅葺)
本遺跡中最大の第Ⅲ記の建物で、郡衛において中心的で巨大な正倉は法倉と呼ばれ、土壁構造が多かったと推定され、
奈良県の法隆寺網封蔵を参考に復元されている。
双倉構造とし、屋根は遺跡の瓦出土量が少なく、茅葺としてある。
三号建物(切妻・傳板葺)
発掘調査で発見される堀立柱建物は、1柱穴1柱が普通だが、本建物では側柱穴に2本の柱痕跡が見つかり、
1本は通し柱、もう一本は床を支える添束(柱)と考えられ、柱の間に板壁を落とし込む板倉で復元されている。
屋根は切妻とし、郡衛正倉はこの板倉が最も多い。
普門寺への参拝からの帰途の途中で125号線を通っている時に立ち寄りました。 広大な丘の広場の中に忽然と古代の風景が現れています。 案内所ではビデオ上映も行っています。また、北条地区の紹介として「北条歴史めぐり絵巻」と題した 案内看板もあります。
[1] 租 - 農地(口分田)にかかる税。稲の収穫の約3%
調 - 各国の特産品。絹・布などや鉱産物、海産物
庸 - 建役(郡での労働)の代わりに納める布
雑搖 - 国内での労働など、最大年間60日
兵役 - 各国の軍団や郡に配属、防人は東国から派遣