医王山遍勝院 長久寺 choukyuuji
ひとくちメモ
小田城址から北西の位置に伽藍が建立されています。 創建は室町時代の長禄3年(1459)に那珂郡小場村に開創され、 小場氏が小田に所替えになった慶長5年(1600)に、共に移ってきたと伝えられています。 小場氏は室町期の常陸守護佐竹義篤の庶長子義躬が、那珂郡に小場城を築いき、小場氏を称したことに始まり、 義宗の時、豊臣秀吉の小田原出陣に参陣し、慶長五年(1600)の佐竹藩内の領地再編で、小場氏は小田城に移城しました。
本堂は桁行八間・梁間六間で、桁行が偶数間であるため、入口を中心からずらして設けられています。 享保17年(1732)の棟札には延寿院薬師堂や八坂神社を 手掛けた稲川平左衛門の名があります。
境内にある石燈籠は鎌倉中期のもので関東地方最古の遺品です。 長久寺の北東約1kmに極楽寺跡という中世律宗の廃寺跡があります。 奈良西大寺の僧忍性は建長4年(1252)からこの寺に来住し、境内の石燈籠はその頃 西大寺系の石工によって作製されたものと考えられています。 円形の基礎は側面を六区に分かち、上に間弁のある十二葉の単弁蓮華文反花座(たんべんれんげもんかえりばなざ)彫出しています。 竿は古くに失われ江戸時代後補のものが使われてきたが昭和50年に推定復元されたものです。
今回の参拝は晩秋の夕方で御住職にお話しを伺ったところ、伽藍の入口にある寄進された大きな燈籠が今回の 東日本大震災で大きくずれてしまったが寄進者のおかげでようやく修復ができたとのことでした。 境内の紅葉が見事でした。