富岡山石上寺 延寿院 enjuin
ひとくちメモ
国道125号線から小田小学校に向かう道路のそぐ傍に建立されています。
延寿院はもとは長久寺の門徒寺だったが今は廃寺になり薬師堂だけが残っています。
薬師堂は桁行三間、梁間三間の入母屋造りで隅木に享保9年(1724)の墨書があり、
「里正便覧」には「本尊薬師如来は小田氏の寄進、乱後まで富岡に安置せると見ゆ、寛永2年(1625)に爰に移し奉る、
此頃本堂をさかし見るに寛永二年の棟札あり、後享保14年(1729)法印宥教代本堂再建」とあります。
正面に掲げられた「富岡山」の扁額は享保18年(1733)の寄進で、
富岡山は小田の小字鍛冶屋敷背後の山です。
「筑波の文化財」より
本尊薬師如来は室町時代の作であり、薬師堂背後に五輪塔があります。 五輪塔は室町時代、天文7年(1538)に妙西禅尼らの三十三回忌供養のために造立されたとあります。 また、境内には「小田村旧役場跡」記念碑があり、 土浦藩小田村は明治維新の後、若森県から新治県、さらに茨城県に編入され、 明治17年(1884)、延寿院内に旧役場が設置されたことが記されています。