豊田山 龍心寺 ryuushinji
ひとくちメモ
つくば方面から24号線で小貝川を渡り、南下した所にある本豊田地区の中心に伽藍が建立されています。 境内の由来碑や「豊里の歴史」によると 当寺は豊田家の守護寺として初代将基によって建立された。 前九年の役(1051-61)で源頼義・義家(八幡太郎)の奥州征伐に赤須四郎平政幹は豊田郷兵を率いで加わり 蹐龍の旗によって大功を立てると後冷泉天皇から蟠龍(つぐみ龍)の旗と豊田郷を賜った。 この旗を別雷神社の御神体とすると同時に、龍神の霊を慰めるためにこの寺を建立し、 名を豊田四郎将基と改めた。 当初豊田氏の祈願寺として現石下町若宮戸にあり、のち臨済宗とも伝えられる。 豊田氏十二代善基が豊田城築城の折りに現在の地に移された。 天正3年(1575)多賀谷氏が豊田氏を滅ぼした時、当寺は没収され、多賀谷氏の帰依している 多宝院の上足悦堂和尚を請うて新しく開山し曹洞宗に改宗されたが、従来通り豊田山龍心寺と称した。
寛永年間(1624-44)に火災に遭い焼失したが、昭和27年(1952)に本堂改築し、現在の堂は昭和61年(1986)に 改修されたものです。