花蔵院 kazouin
ひとくちメモ
開山時期は不詳。不動堂の裏に江戸時代の町人学者、沼尻墨僊の墓「静寿庵黙翁墨僊居士」があります。
墨僊は温厚な人柄で、養父母によく仕えたので藩主より何度も褒賞を受け、弘化元(1844)年には帯刀(たいとう)を許された。 多芸多才で、エレキテル(発電機)を作り、堀抜き井戸を掘り、天文学では自作の渾天儀(こんてんぎ)を使用して天体を観測した。 地理学では「地球万国図説」を著し、地図を収集、模写し、傘式地球儀を作製するなど大きな業績を残した。 旧中城の琴平神社のところに「時習斎」(のち、「天章堂」改称)という寺子屋を開き、多くの子弟を教育し 安政3(1856)年82歳で没した。