春林山 平福寺 heifukuji
ひとくちメモ
富田北向十一面観音の裏手に伽藍があります。 本尊は如意輪観世音菩薩で常陸大掾氏の菩提寺です。 本堂正面に明治時代の重野安縡撰文の「常陸大掾氏碑」があり、 境内には平安時代から戦国時代まで、常陸国に勢力を誇った豪族、常陸大掾氏代々の墓塔といわれている五輪塔があります。 墓所の中央に最大の五輪塔(全高1.62m)があり、それをとり囲むように3方周囲には、14基の五輪塔が林立しています。 「大掾」とは常陸国国府の官職名で大掾職を受け継いだ平氏がこの一族に当たり府中城を拠点に約700年続いたが、 天正18年(1590)、最後の府中城主大掾清幹は佐竹義重の進攻を招き、平福寺内で自害し大掾氏は滅亡した。
創立は不詳ですが、開基は平安中期に始まる桓武平氏初代の平高望の子、平国香(良望)で、当時としては役寺=官寺であった。 「宮部不動院文書」には不動院・龍光院・千手院・照光寺とともに府中五大寺院として平福寺の名があげられています。 また「西大寺末寺帳」に「常陸国・平福寺」の記述が見え、奈良西大寺の末寺として近世に至っています。