宝珠山 神龍寺 jinryuuji
ひとくちメモ
亀城公園そばの土浦市立博物館の道を挟んで反対側にあります。
創建は天文元年(1532)、即庵宗覚の弟子で雪田真良和尚を招いて土浦城主菅谷政貞が開山したと伝えられています。
江戸時代に土浦藩主土屋家の歴代の菩提寺となっています。
日本三大花火大会の一つの土浦全国花火競技大会は大正14年(1925)、24代住職秋元梅峰師が
霞ヶ浦航空隊の殉職者の慰霊と、関東大震災の影響で当時不況にあえいでいた地元商店街に再び”活気”をもたらせたいと私財を投じて
霞ヶ浦湖畔にて花火を打ち上げたことが始まりです。
その後会場は現在の桜川湖畔に移りました。
境内には海軍霞ヶ浦海軍航空隊で殉職されたかたがたを供養するための慰霊塔「霞ヶ浦海軍航空隊航空殉職者供養塔」があります。
また、境内社の豊川稲荷は外西町の小広場に郁文館の門と並立してあった豊川稲荷の分身で文化9年(1812)に創建され、
国道新設時に神龍寺境内に移され、交通安全の守り神、商売繁盛、家運隆昌のほか、
郁文館と併び立っていたため文武の護り神ともなり、進学出世にも霊験深いと言われています。
たまき地蔵尊は明治6(1873)年2月の土浦市立土浦小学校創設以来在学中に亡くなられた児童・職員の霊を慰め、
併せて本校児童一同のご加護をお祈りするため昭和11(1936)年9月23日、赤塚庄三郎校長時代に創設合祀されたものです。
「たまき」とはおよそ160余年前の神竜寺の住職であった大寅(だいいん)和尚といい、
人格高く学識深い名僧が「欠けることなく余すことなく只一輪」筆あとあざやかに書かれた教えで、
小学校の子どもたちは『たまきの子』と呼ばれ、校章は金色で一輪の輪を描いた図案になっています。
境内にある如意輪観音像は胸に十字の浮彫りがあり、通称、マリア観音と呼ばれています。
鐘楼は江戸時代の俳人内田野帆が選定した土浦八景の1つ神龍寺晩鐘で"寒き夜のひとちからなり鐘の音"の句が添えられています。
山門入口に、「不許葷酒入山門」という戒檀石があります。
「くんしゅさんもんにいるをゆるさず」と読みます。
葷とは、ニラ・ニンニクなど臭気がある野菜です。
また、酒を飲むことが激しくいましめられていましたが、薬として身体のために少しぐらい飲むのならよかろう、ということで、
酒として飲むのではない、という意識から、「智恵のわきいずるお湯」という意味を持った「般若湯」という名をつけ、
この戒律は日本に伝わってくると、「酒を飲むこと自体がいけないのではないから、酒を飲んでも他の悪いことをしなければよいはずだ」
と解釈するようになったようです。
(注1)
土浦全国花火競技大会は毎年10月第1土曜日(荒天時は延期)に開催され、日本一のスターマインが競われています。