[神龍寺]

ロゴ 時を巡るお寺神社の旅 (つくば市) 

The guide to exploring the shrines and temples in Shimonoseki city, Tsukuba city and surrounding areas,Japan

つくば市近郊の神社や宗派は問わないお寺を紹介をします。 掲載している寺社を全て訪問することを目指しています。

宝珠山 神龍寺(じんりゅうじ)  jinryuuji

本堂
本堂
宗派
曹洞宗
住所
〒300-0045 茨城県土浦市文京町1-27  Map
電話

ひとくちメモ

亀城公園そばの土浦市立博物館の道を挟んで反対側にあります。 創建は天文元年(1532)、即庵宗覚の弟子で雪田真良和尚を招いて土浦城主菅谷政貞が開山したと伝えられています。 江戸時代に土浦藩主土屋家の歴代の菩提寺となっています。
日本三大花火大会の一つの土浦全国花火競技大会は大正14年(1925)、24代住職秋元梅峰師が 霞ヶ浦航空隊の殉職者の慰霊と、関東大震災の影響で当時不況にあえいでいた地元商店街に再び”活気”をもたらせたいと私財を投じて 霞ヶ浦湖畔にて花火を打ち上げたことが始まりです。 その後会場は現在の桜川湖畔に移りました。 境内には海軍霞ヶ浦海軍航空隊で殉職されたかたがたを供養するための慰霊塔「霞ヶ浦海軍航空隊航空殉職者供養塔」があります。

また、境内社の豊川稲荷は外西町の小広場に郁文館の門と並立してあった豊川稲荷の分身で文化9年(1812)に創建され、 国道新設時に神龍寺境内に移され、交通安全の守り神、商売繁盛、家運隆昌のほか、 郁文館と併び立っていたため文武の護り神ともなり、進学出世にも霊験深いと言われています。
たまき地蔵尊は明治6(1873)年2月の土浦市立土浦小学校創設以来在学中に亡くなられた児童・職員の霊を慰め、 併せて本校児童一同のご加護をお祈りするため昭和11(1936)年9月23日、赤塚庄三郎校長時代に創設合祀されたものです。 「たまき」とはおよそ160余年前の神竜寺の住職であった大寅(だいいん)和尚といい、 人格高く学識深い名僧が「欠けることなく余すことなく只一輪」筆あとあざやかに書かれた教えで、 小学校の子どもたちは『たまきの子』と呼ばれ、校章は金色で一輪の輪を描いた図案になっています。

境内にある如意輪観音像は胸に十字の浮彫りがあり、通称、マリア観音と呼ばれています。
鐘楼は江戸時代の俳人内田野帆が選定した土浦八景の1つ神龍寺晩鐘で"寒き夜のひとちからなり鐘の音"の句が添えられています。
山門入口に、「不許葷酒入山門」という戒檀石があります。 「くんしゅさんもんにいるをゆるさず」と読みます。 葷とは、ニラ・ニンニクなど臭気がある野菜です。 また、酒を飲むことが激しくいましめられていましたが、薬として身体のために少しぐらい飲むのならよかろう、ということで、 酒として飲むのではない、という意識から、「智恵のわきいずるお湯」という意味を持った「般若湯」という名をつけ、 この戒律は日本に伝わってくると、「酒を飲むこと自体がいけないのではないから、酒を飲んでも他の悪いことをしなければよいはずだ」 と解釈するようになったようです。
(注1) 土浦全国花火競技大会は毎年10月第1土曜日(荒天時は延期)に開催され、日本一のスターマインが競われています。


写真

寺名石柱
寺名石柱
参道の墓石群
参道の墓石群
参道の様子
参道の様子
山門と「不許葷酒入山門」戒檀石
山門と「不許葷酒入山門」戒檀石
山門の扁額
山門の扁額
中門
中門
中門
中門
鐘楼堂(神龍寺晩鐘)
鐘楼堂(神龍寺晩鐘)
本堂
本堂
本堂の扁額
本堂の扁額
秋元梅峰師像
秋元梅峰師像
鬼瓦
鬼瓦
本尊案内石柱
本尊案内石柱
寺名石柱
寺名石柱
交通事故・遭難者慰霊碑
交通事故・遭難者慰霊碑
航空殉職者供養碑
航空殉職者供養碑
航空殉職者供養碑
航空殉職者供養碑
慰霊塔(鳶職)
慰霊塔(鳶職)
如意輪観音像(通称、マリア観音)
如意輪観音像(通称、マリア観音)
観世音菩薩御和讃
観世音菩薩御和讃
たまき地蔵菩薩像
たまき地蔵菩薩像
たまき地蔵尊由来
たまき地蔵尊由来
豊川稲荷の鳥居
豊川稲荷の鳥居
鳥居の額束
鳥居の額束
豊川稲荷奉賛趣意書
豊川稲荷奉賛趣意書
豊川稲荷拝殿
豊川稲荷拝殿
豊川稲荷拝殿内
豊川稲荷拝殿内
豊川稲荷案内看板
豊川稲荷案内看板