小渡山照明院 医王寺 iouji
ひとくちメモ
354号線の谷田部診療所前の交差点から143号線を南下した場所に伽藍が建立されています。
高台には愛宕神社があり、高台を降りた場所に医王寺があります。
境内の「薬師堂再建記念碑」によれば
薬師堂は、小渡山正明院と号し平安時代初期の大同年間(806-809)に開基され、
本尊の薬師如来像は弘法大師の作と伝えられています。
中世戦乱期の天正年中(1588-1591)由良氏が牛久に居住した時、母妙円尼が討死した将士を供養するために近傍数里の間に
七観音八薬師[1]の堂宇を建立したもののひとつです。
慶長年間(1596~1614)に戦火のため焼失、元和2年(1616)細川氏[2]が谷田部を領地として封ぜられた時に
陣屋(城)の鬼門除けの祈願寺として医王寺を造営しました。
薬師堂は、文政年間(1820年頃)の假造りいわれ、その後老朽化により、昭和56年(1981)に再建されています。
薬師様は往時より医薬の佛護眼の仏様として近隣の人々に広く親しまれ、旧暦4月4日のお釈迦様灌仏会(花祭り)には 露店・植木市がならび、賑わいをみせています。
境内には池があり紅い太鼓橋を渡り弁財天を祀っています。
[1] 七観音八薬師は、他につくば市の羽成観音堂、龍ヶ崎市の清水山慈眼院、牛久市の田宮山薬師寺、瑞雲山正源寺、 つくばみらい市の千手院などです。
[2] 境内にある「大光霊神」は谷田部藩の初代藩主細川興元公を祀ったものです。 栃木県(茂木)には細川興元公を祭神とする大光神社があります。