吉沼山金西院 大祥寺 daishouji
ひとくちメモ
小貝川東側の吉沼地区に伽藍が建立されています。 本尊は千手観世音菩薩で境内にある由来碑および「豊里の歴史」によると 創建は室町時代の享徳3年(1454)祥庵吉公入道の開基と伝えられ、始めは田倉の薬師原に建立され 尾花山金西寺祥庵寺と称していました。 永正元年(1504)豊田家の臣、藤原清知(原外記公)がこの地に栗崎城を築き、 天文2年(1533)現在地に当寺を移し、吉沼山金西院大祥寺となりました。 その後、天正18年(1590)に豊田城主になった多賀谷氏より本尊の寄附を受け、 江戸時代の慶安元年(1648)に三代将軍徳川家光公より朱印三石を賜る。 明治14年(1882)に堂宇が焼失したが、明治27年(1893)に再建されたものが現在の本堂です。
境内にある「親子地蔵尊」の由来縁起によれば 上記、栗崎城主藤原清知は戦国乱世の常として隣国より攻撃を受け落城し、当寺に逃れ、その子と共に生害して果てたそうです。 村人達は原外記父子の生害を非常に悲しみ父子地蔵の石像一基を建立して供養したと伝えられています。 その後この石像が盗み去られ行方不明になっていましたが、昭和52年(1977)に親子地蔵大菩薩として 再現完成したものです。