岡田稲荷神社[茨城県石岡市貝地1丁目11-64] - 時を巡るお寺神社の旅 (つくば市)

[岡田稲荷神社]

ロゴ 時を巡るお寺神社の旅 (つくば市) 

The guide to exploring the shrines and temples in Shimonoseki city, Tsukuba city and surrounding areas,Japan

つくば市近郊の神社や宗派は問わないお寺を紹介をします。 掲載している寺社を全て訪問することを目指しています。

 岡田稲荷神社(おかだいなりじんじゃ)  okadainarijinja

拝殿
拝殿
祭神
宇賀御魂神
系統
24.稲荷神社
住所
〒315-0015 茨城県石岡市貝地1丁目11-64  Map
電話

ひとくちメモ

国道6号線の貝地交差点から南の丘陵地に建立されています。 この地は石岡城(外城)跡で神社の前に案内看板があります。 説明文を記します。
「建保2年(1214)常陸大掾(ひたちだいじょう)を継承して、常陸国衛において政務をとっていた大掾資幹(すけもと)は 鎌倉幕府から府中の地頭職をあたえられ、この地に居館をかまえた。これが石岡城の起こりといわれる。 その後、大掾氏の拠点として城郭が整備され「税務文書(さいしょもんじょ)」には、南北朝動乱期の 大掾高幹(たかもと)の居城として「府中石岡城」の名前が書かれている。
高幹の子詮国(あきくに)の代には、大掾氏は常陸国衛を拡張して府中城(現在の石岡小学校内)を築き 本城をそこに移したため、石岡城は「外城」と呼ばれたという。 近世後期に書かれた地誌類には、大掾氏が府中城に移ったあとの「外城」の城主として 石岡某・札掛兵部之助・田島大学などの名前があり、天正18年(1590)の大掾氏滅亡とともに 外城も廃城となっている。 現在は、かっての城主であった札掛氏を祀る札掛神社と堀・土塁の一部を残すのみである。」

札掛神社は天正18年に佐竹氏によって滅んだ大掾浄幹を弔い建てられたものです。 稲荷神社はもとは外城の鬼門除として祭られ、館宮稲荷大明神ともいわれ、天保6年(1835)に岡田稲荷神社と改められ 城主札掛氏の一類である岡田家が祠守(しもり)をしています。


写真

鳥居
鳥居
石岡城(外城)跡説明看板
石岡城(外城)跡説明看板
石岡城(外城)跡写真
石岡城(外城)跡写真
境内の様子
境内の様子
札掛神社岡田稲荷神社由来石碑
札掛神社岡田稲荷神社由来石碑
神使(右)
神使(右)
神使(左)
神使(左)
拝殿内の祭殿
拝殿内の祭殿
札掛神社
札掛神社
境内の石祠
境内の石祠
神社の全景
神社の全景