月読神社(樋の沢) tsukiyomijinja
ひとくちメモ
国道354号線の小野川小学校から南下する202号線は小野川に沿って流れている道で道沿いに多くの神社が祀られています。 八坂神社、八幡神社、三日月神社と南下し、樋の沢(ひのさわ)地区に月読神社が祀られています。
天慶8年(945)の創建です。 祭神は月読命(つきよみのみこと)で二十三夜尊(略して三夜尊、三夜様)と呼ばれ、神仏混合で「樋の沢のさんやさま」と呼ばれていました。 この神社は神主岡野氏の氏神で二十三夜尊月読大勢至菩薩と仏号を捧げ祀ったものと伝えられ、農業や産業の守護神として信仰を集めていました。 江戸時代は谷田部藩領で藩主細川候の祈願所となり、寛永5年(1628)社殿を建立し、天保2年(1831)、寄進により社殿の造営が行われました。 明治の神仏分離令によって勢至菩薩は月読命、三夜様は月読神社になりました。
崇敬者は三夜講を結び、毎月旧二十三日に講中集い、月の出と共に家内安全を祈願しました。 縁日は旧正月二十三日で10月17日にはつつがい(とうぼうさく)という神事が行われます。 神主が神殿に籠り来年の天候・作物の吉凶を占うもので、結果は正月二十三日には発表されます。 二十三夜講での信仰対象は、仏教では勢至菩薩を、神道では月読尊を祀ったようです。 月待信仰は、ほかにも十三夜(虚空蔵菩薩)、十五夜(大日如来)、十九夜(如意輪観音)、二十六夜講(愛染明王)などです。 古事記の言い伝えでは伊邪那岐命の左目から天照大神が生まれ、右目から月読尊が生まれたといわれています。
この神社には、間宮林蔵(探検者)の父母が10年間、子授祈願を行った末にようやく授かった子であるという記述があります。「稲敷郡日記」 また、境内裏にある御神木のシイの木は樹齢700年を超え幹回りは6mを超える巨木です。 社務所は境内の裏庭を通り抜けた場所に建てられています。