金刀比羅神社 kotohirajinja
ひとくちメモ
「石岡の金刀比羅さま」はかっては「笠間の稲荷か、石岡の金刀比羅さまか」と謳われたほどの賑わいを極めた神社です。 この地は古く「森」あるいは「森の杜」といい古代神木祭祀の時代からの由緒ある神域であったことを伝えています。 平安時代に、桓武天皇の曾孫平高望王が常陸大掾という官職を得て国府に着任して以来、平氏ゆかりの神社として伝承され 歴代の平氏の子女が祭主となって神役に勤仕していたと伝えられ、 古来より新生児の命名をする神社として知られています。 江戸時代になると、石岡藩主松平頼繩候は厚く金比羅さまを信仰されていたらしく御妹秋仙様をつれてしばしば参詣された古記録があります。 文政10年(1827)に讃岐国象頭山(香川県)の金刀比羅宮より御分霊を勧請し海の守り神として賑わったそうです。
かっては社頭に素晴らしい楼門があったようですが明治11年(1878)に焼失していまいました。 明治39年(1906)、金刀比羅神社と香取神社が合併、現在の社地は香取神社の場所にあります。 社殿は昭和4年(1929)の石岡の大火で焼失し、昭和11年(1936)再建されましたが、平成12年(2000)に再度焼失し 平成19年(2007)に現在の社殿が再建されています。
石岡の街中である中町の商店街通りに鎮座している神社で,通りは当時の面影を残しています。