旧郷社 日枝神社(田中) hiejinja
- 祭神
- 大山咋神、大己貴神
- 系統
- 07.日吉神社、日枝神社
- 住所
- 〒300-4244 茨城県つくば市田中1850番 Map
- 電話
- 茅輪祭
- 7月30日
ひとくちメモ
国道408号線の田中交差点から南西の位置にあります。 滋賀の日吉神社の御分霊を祀り、 創建は貞観2年(860)と伝えられ、承久3年(1221)年小田知重により再建され、 興国元年(1340)に戦乱にて社殿が炎上したが永享年中(1429-1441)小田孝朝が再造営した。 本殿は入母屋造の三間社で、遷宮式挙行高札が現存し、社殿が完成して享保9年(1724)に遷宮したことが知られています。 田中荘三十三郷の総鎮守で一ノ鳥居は豊村(旧伊奈町)、二ノ鳥居は島名村(旧谷田部町)、 三ノ鳥居は長高野村(旧大穂町)にあったという。 田中荘は嘉元大田文に「田中荘五百丁」とあり、現在のつくば市域の大半と隣接する谷和原・伊奈・明野・真壁にまたがる領域です。 明治6年村社、明治12年郷社に列せられたています。
承久3年の伝承は「吾妻鏡」に基づき、
承久の変の時、
近江の日吉神社の成茂は京都方に味方したという嫌疑をうけ、鎌倉に召し寄せられ、その身を預かったのが小田知重であった。
ところが北条義時の妻の夢の中に猿があらわれ彼女を悩乱せしめた。これは日吉神社の怒りということになり、
成茂はただちに許されて本国に帰ったという。知重は日吉紳の
「不思議に威信し、成茂を頼み、日吉山王を田中庄三十三郷の総社に歓請し小田家の守護神になす」と縁起にいわれている。
「筑波の文化財(社寺建築編)」より
社殿前に広い流鏑馬場があり、祭祀行事に流鏑馬祭などが行われていたが、大祭である 茅輪神事は「ちのわしんじ」と訓み、茅輪をくぐり越えて罪穢を除き心身の清浄ならんことを祈祷するものです。