旧村社 鹿島神社(手子生) kashimajinja
ひとくちメモ
24号線の南側に広がる手子生(てごまる)地区の南側に鎮座しています。 手子生地区は西谷田川とその支流に東西を挟まれ、南側でその両川が合流する地形でその中央に手子生城が築かれていました。
創建は不詳です。 手子生の地名はその昔女性の股に手を添えたら子供が産まれ、その名前を「手子丸」とつけ、 其の子が成人して功績を残し、その徳を慕って神社を建立して守り神とし手子神社となったという由来があります。 古来、手の子明神として近村民が崇敬していたが、祭神不詳のため 慶長8年(1603)菅谷範政が手子生城主となった時、武甕槌神(たけみかづちのかみ)を祀ったと伝えられています。
鳥居は両部鳥居で笠木の上の雨覆屋根は瓦葺となっています。 また、境内には阿夫利神社講中があり、雨乞いを祈念していたものでしょう。